『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃』を読了。
コーエン兄弟の新作映画
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』の
ヒントになった回想録ということで、
映画を観る前からずっと気になっていた本だった。
映画の直接的な原作と捉えると大間違いで、
オスカー・アイザックが演じたフォーク・シンガーが
他人の家に寝泊まりしながら演奏家業を続けていく貧乏物語が
延々語られるわけでは全くなく、
デイヴ・ヴァン・ロンクという1人の革新的なブルース・シンガーによって
非常に思慮深く語られる、社会史的・音楽史的な記録だった。
(コーエン兄弟は、この本の中に出てくる印象的なエピソードを
何個か繋ぎ合わせて、オリジナルな映画を作ったまでだ)
デイヴ・ヴァン・ロンクについてはほとんど知識が無かったが、
恐ろしいほどの読書家&ルーツ・ミュージック研究家な彼の
知的で(皮肉溢れる)魅力的な語り口にすっかりハマってしまい、
久々に時間を忘れる読書体験をした。
何よりも、当然のことながら
50年代後期から60年代初めにかけて東海岸で起こった
フォーク・ムーヴメントを牽引した中心人物にしか書けない
当時の逸話や体験談が刺激的な面白さ。
特に後に有名になったアーティストが
初めてシーンに登場する記述は、
音楽史としてもかなり貴重だと思う。
例えば、後にピーター・ポール&マリーとしてデビューする
ノエル・ストゥーキーは当初コメディアンとしてスタートし、
十八番は旧式の水洗トイレのものまねで、
しばらくの間は“トイレット・マン”として売り出されていたとか、
サイモン&ガーファンクルが初めてフォーク・デュオとして
ガスライト(フォーク・シンガー御用達のコーヒーハウス)に出演した際、
ヴィレッジのフォーク純粋主義者たちは
過去にトム&ジェリーとしてTop40ヒットを持つ彼らを
旬の過ぎたポップシンガーと物笑いの種にしていて、
「Sound Of Silence」の一節「Hello Darkness My Old Friend…」を
ポールが歌いだすだけで会場が爆笑に包まれた…とか。
映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』では
ボブ・ディラン(らしき男)がステージで歌うラスト・シーンが
非常に印象的だったが、もちろんこの本でも
ボブ・ディランとの交流はかなり詳細に述べられている。
フレッド・ニールのステージでハーモニカを吹いている
ボブ・ディランを初めて見た時の印象を、デイヴは
「みすぼらしいトウモロコシ畑からの脱走者」と表現し、
「その演奏には笑いが止まらなくなるような、
がむしゃらでダダ的なところがあった」と評している。
(“ダダ的”という言葉にデイヴの知性を感じると同時に、
一瞬にしてディランの特性・芸風を見抜いたような気もする)
“ボビー”(ボブ・ディラン)との蜜月時代を
甘いノスタルジーに浸りながら描くことはせず、
ちょっと突き放したようなクールさで述懐しているのが面白い。
1965年のニューポートでのエレキ・ギター導入事件についても、
デイヴの判断基準は政治的なものでも社会学的なものでもなく、
あくまでも音楽的なもので、“音楽的に成功しているか?”という
シンプルな目線で捉えていた(そしてあの時の彼の選択は
大正解だったと結論づけている)。
長年の貴重な経験から導き出した、
音楽に関する様々な鋭い考察は本著の中で数多く見つけられるが、
特に個人的に感銘を受けた文章を2つ引用したい。
「ある意味では、誰が誰に影響したかという問い自体がくだらないのだ。
剽窃は芸術の第一法則で、賢明なミュージシャンのグループなら
どこもそうであるように、私たちもみんなお互いのポケットに
手を入れて暮らしていた。ボビーは私を含めた
たくさんの人たちから材料を仕入れていたが、
私たちのほうもみんな彼から得るものがあったのだ」
「ソングライターにとっての最大の問題は
創造力より批評力のほうが速く伸びることで、
自分の曲の欠点で頭が一杯になってしまって
曲作りをやめてしまうのは非常にたやすい、
とレナード・コーエンがよく指摘していた。
私はいい歌に必要な要素についてかなり洗練された持論を
いくつか作りあげていて、自分では全体的に理に適っていたと思うのだが、
それはちょっとやそっとではびくともしない、
自らが課した曲作りの閉塞状態の隠れみのとしても機能していた。
私がそんな状態から抜け出せたのは、レナードと
ジョニ・ミッチェルの二人とよく会うようになってからだ。
二人とも私の言いわけや自己弁護に耳を貸そうともしなかった。
ただこう言われた。“くだらない。どんな馬鹿にだって曲は書ける。
だからつべこべ言わずに書きなさい”」
この2つの記述は、音楽の分野だけではなく、
全てのモノ作りに携わる人たちにとって、
とても重要な示唆や教訓を含んでいると思う。
剽窃や批評性を全く持ち得ない純粋な表現者を天才とするならば、
デイヴ・ヴァン・ロンクは恐らく天才ではないと思えるが、
だからこその苦悩や思索や達観に
僕は強烈なシンパシーを抱いてしまった。
今日のBGM:「House Of The Rising Sun」by Dave Van Ronk
↑この曲にまつわる、デイヴとディランの確執にも多くのページを裂いている。
もともとはアラン・ロマックスが収集したトラディショナル・ナンバーだが、
あの有名な半音下がるアレンジを付けたデイヴの代表曲となった。
その後はボブ・ディランの、
更にはアニマルズの代表曲になるのはご存知の通り。
ちなみにこの歌の中に出てくるハウスとは
通説となっている売春宿のことではなく、
オーリンズ・パリッシュ女子刑務所ということも本書で知った。
↓デイヴ・ヴァン・ロンク版は1964年のマーキュリー盤
『Just Dave Van Ronk』に収録されている。