松永さんのこの日のブログを読んで、
やっぱりメアリー・ブレア展は行っとかなきゃなと思って、
滑り込みで行って来ました清澄白河へ。
メアリー・ブレアは、ディズニーで40年代から50年代にかけて
カラー・スタイリストとして活躍した女流アーティストで、
その後、絵本の挿絵や広告、壁画などでも活躍した才人。
いやはや素晴しかった。
ディズニーという枠を取っ払っても、水彩画家として、
グラフィック・デザイナーとして、現代美術家として超一流。
やはり色の使い方には目を見張るものがある。
鈍い色と、彩度の高い色のバランスが奇跡的に巧い。
どうやったらあんなに色彩を自由に操れるんだろう。
ところで、これは個人的な感じ方なのかも知れないが、
40年代から50年代頃のディズニーのアニメーションには、
昔から毒気や狂気を感じることが少なからずあった。
漠然と感じていたその思いにリアルな体験が加わったのは、
20代の頃、映像会社で短編CGアニメを作っていた時に、
資料として初期ディズニーの作画やストーリー・ボードなどが載った
大判の画集を見た時だった。
そこには人間の手の形をしたキャラや、
目ん玉だけのキャラなど、ちょっとおぞましい造形物や
それらが動き回る現実離れしたおどろおどろしい世界が
活き活きと描かれていた。
恐らくその世界観の一部が長編として最初に結実されたのが
『ファンタジア』だったのかも知れない。
(新宿タイムズスクエアのアイマックスシアターの巨大スクリーンで観た
『ファンタジア2000』の衝撃は忘れられない)
ディズニーはただの美しく可愛いだけの世界ではない。
"可愛い"の裏に潜む毒気。行き過ぎたファンタジーが辿り着く狂気みたいなもの。
そこら辺が、自分のディズニー世界に対する興味だ。
(ちなみに現在、その"可愛さ"と"狂気"の間を行ったり来たりしてるのが
元ディズニーの社員だったティム・バートン)
同じく狂気をはらんでいるアニメーターとして
(大好きな)テックス・エイヴリーがいるが、
彼の世界は、動きやストーリーやギャグ自体がマッドだった。
ディズニーは
もっと広い世界観全体がいっちゃってる気がする。
昨日、メアリー・ブレアの描いた
『ふしぎの国のアリス』の「マッド・ティ・パーティ」のシーンの
ストーリー・ボードを見て、彼女もその"いっちゃってる世界観"を
提供していた1人だったんだと確信した。
可愛い過ぎて狂ってる!
気になったことがひとつ。
1952年に制作された短編アニメーション
『小さな家』と『青い自動車』の映像を見たのだが、
両方ともクレジットに"Music : Paul Smith"とあった。
ポール・スミスって、50年代に西海岸で活躍したピアニストの
あのポール・スミスだろうか?
でも短編アニメのBGMはあんなに粋なウエスト・コースト・ジャズじゃ
なかったから、同名異人の映画音楽の方のポール・スミス?
ただ、ディズニーの別の短編アニメ『ふたつのシルエット』では
ダイナ・ショアの歌が使われていて、ポール・スミスはダイナ・ショアの
伴奏楽団にもいたから、その関係でディズニーと関係ができたのかも…。
なんて色々と考えたら眠れなくなりそうだ。
うー、真実が知りたい。
今日のBGM:「Brazilian Detour」by Paul Smith
↑ピアニスト、ポール・スミスが1966年に出したボサノヴァ集。
一瞬、ジャケの絵がメアリー・ブレア!?とときめいたが全然違う人だった。
よくよく見たら洗練さが無いっすね。

