『ウォールフラワー』
観たかったのにスルーしてしまった2本の映画が、
たまたま早稲田松竹で2本立て上映をしていたので観に行ってきた。
その1本目が『ウォールフラワー』。
文学や映画では
『ライ麦畑でつかまえて』『ハロルドとモード』『卒業』、
音楽ではデヴィッド・ボウイやザ・スミス、ニック・ドレイクなど、
耳に引っかかるアイテムが本編中にこれでもかと引用されている割には
あんまりノレなかったなぁ。
内気で非モテ男子高校生の主人公が
自分を理解してくれる友人たちと出会って、
結構いい感じの青春を送れましたって話なのだが、
ラストに突然小さい頃のトラウマ話が暴露される。
でもそれが、それまでの話に何の感慨もプラスしないので、
「はあ、そうでしたか…」とぼんやり納得しただけだったり。
『あの頃ペニー・レインと』的な、『(500)日のサマー』的な、
(どちらの雰囲気にも似た瞬間がちょっとあったりする)
素敵文科系映画を作りたいっていう意気込みは伝わって来るんだけど、
どこか借り物風で、本質的な物語ではないような気がした。
それはもはや自分が高校時代からかけ離れてしまった
歳のせいだけではないと思うんだけど…。
原作者のスティーヴン・チョポスキーが自ら脚本・監督してるので、
やりたいことは思いっきりやり切ったはず。
ならば原作と映画の違い云々の問題ではなく、
もともとこういう作品なのだろう。
『ハリー・ポッター』以外のエマ・ワトソンが見られて新鮮だった。
『ムード・インディゴ〜うたかたの日々〜』
早稲田松竹での2本目。
恐らく本作を観に行った人は、
ポリス・ヴィアンの原作(『日々の泡』)好きか、
ミシェル・ゴンドリー好きかのどちらかだと思うんだけど、自分は後者。
『エターナル・サンシャイン』や『僕らのミライへ逆回転』を観て以来、
映像作家としてのミシェル・ゴンドリーが大好きで、
その新作というだけで前から気になっていた。
これ、原作の世界観を知ってるか知ってないかで
受け取り方が全然違うと思う。
自分は原作を読んでいないので、
ファンタジックかつグロテスクな映像と物語に大きな衝撃を受けた。
(恐ろしいことに、奇想天外な世界観はほとんど原作に忠実だとか!)
ガジェット好きなミシェル・ゴンドリーの
面目躍如という感じの映像がとにかくスゴくて、
まるでシュールなミュージック・ビデオを
130分間観させられてるみたい。
「とんでもない映像を観た」と思う反面、
逆に「物語」としてのポジティヴなカタルシスは
ほとんど無かった気がする。
原作のストーリーがそうなのだから
それに文句を言うのはナンセンスかも知れないけど、
冒頭の恋愛の幸福感が泡のように消え失せていき、
後半は汚濁の世界となる展開がとにかく観ていて辛過ぎた。
(予定調和の幸せ物語に飽き飽きしているくせに、
救いのないものを突きつけられると不満に思う
自分の身勝手さに呆れてしまうが…)
「人生で一番大切なものは綺麗な女の子との恋愛とジャズだけだ」
というポリス・ヴィアンの言葉に敬意を表して、
「綺麗な女の子」と言うにはオドレイ・トトゥは
歳を取り過ぎていた気がするという不満と、
デューク・エリントンの役で
オーガスト・ダーネル(!)が出演してたことの喜び、
このふたつの件を付け加えておきたい。
次回も最近観た映画レポート、続きます。
今日のBGM:「Lowdown」by Boz Scaggs
↑『ムード・インディゴ〜うたかたの日々〜』で、
ロマン・デュリスとオドレイ・トトゥの新婚旅行のシーンでかかる曲。
100年前なのか近未来なのか、時代設定が丸っきり分からない本作で、
突然この曲がかかる違和感たらなかった!