(瀬川裕司 著)という本を読んだ。
ビリー・ワイルダーに関する書籍は何冊も出ているが、
日本人によるこういった分析本は今までになかったと思う。
しかも『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』『昼下りの情事』
という、ロマンティック・コメディの代表作に特化した評論となれば
興味を持たずにはいられない。
小道具の使い方がどうのこうの、この演出の意味はこうで…
というような映画の詳細を逐一解説していくような本には
基本的には興味はないが、ワイルダーとなれば話は別。
あの圧倒的な面白さが一体どこからくるのか?という素朴な疑問は
昔から持っていたし、ものすごく巧妙なパズルのような脚本や演出を、
様々な分析から紐解いていく面白さは絶対にあるはずと
思っていたから。
読んでみて、ワイルダーがいかに緻密に脚本を書き
演出していったかに改めて驚かされた。
荒唐無稽な話ほど観客が違和感を抱かないように
気を使って入念に下準備をしている。
笑いに対しては執拗なほど何回もくり返すし、
一般的に伏線と呼ばれるちょっとした話の布石も
観客が気付かないものまで含めると異常に多い。
ワイルダーの映画は芸術作品ではなく、
毒にも薬にもならない単なる娯楽作品だけれど、
それらの娯楽映画がいかに美しく構築されたメカニズムによって
支えられているか。
著者のそういった指摘を読んだ時に、
60年代初頭のアメリカン・ポップスにおける楽しさと、
その裏にある制作側の高度な才能や技術との関係性を思い出してしまって、
ああ、自分が好きなものはこの落差なのかも知れない
などと思ってしまった。
ところで、
この本の『お熱いのがお好き』の項目を読んでいる時に、
並行して『音盤時代 Vol.2』に寄せられた水上徹さんの
「白髪まじりのティーンエイジャー達へ」というコラムを読んだ。
そのコラムでキャロル・キングの「Nobody's Perfect」という曲が
取り上げられていてハッと思ってしまった。
この「Nobody's Perfect」という言い回しは、
『お熱いのがお好き』のラスト・シーンで、
ジョー・E・ブラウン扮するオズグッド3世という大富豪に
結婚を申し込まれた(女装した)ジャック・レモンが
「I'm A Man!」と告白した後に、オズグッドが言い放った
セリフとして有名である。
キャロル・キングの「Nobody's Perfect」(1962年)の詞を書いた
ジェリー・ゴフィンは、『お熱いのがお好き』(1959年)の
この名台詞からタイトルを頂いたのかななんて思ったり。
“恋愛においては誰もが今も昔も間違いを犯す”
という切ないラヴ・バラードの歌詞が、
男性同士の結婚をほのめかすようなコメディのオチから
インスパイアされたなんて、
ちょっと考えたくはないけれど。
(やっぱり違うかな…)
今日のBGM:「Nobody's Perfect」by Carole King
↑キャロル・キングのディメンションにおける唯一のヒット
「It Might As Well Rain Until September」のB面曲。
どちらもキング&ゴフィンによる泣けるほどの名曲。

