その時代の空気を直に感じながらではないと、
その音楽を本当に理解し愛せないというような。
自分の中で、
キャロル・キングの『Tapestry』や、
ジェイムス・テイラーの『Sweet Baby James』などは
そういうアルバムだとずっと思ってきた。
僕がこれらのレコードを初めて聴いたのが80年代後半だから、
いくら何でも出会ったのが遅過ぎた。
あんな享楽的で騒々しい時代に
JTの「Fire And Rain」を聴いても、
"ファイアー"や"レイン"の本当に意味することが分かるはずがないと、
かなり自虐的に、クールに受け止めていた気がする。
激動の60年代の夢敗れた直後の
あの静寂や虚しさを体験していない後追い世代の者が、
知ったような口で「この曲が好きだ」なんて
軽々しく発言してはダメだと思っていたのだ。
JTやCKを熱く愛したリアルタイム世代に対しての
そういう世代的な劣等感は未だに感じていて、
一昨日の武道館でのライヴにも
その感情を持ち込んでしまっていたように思う。
それでも「So Far Away」や「Carolina In My Mind」や
「Will You Love Me Tomorrow」や
「You've Got A Friend 」などを聴いて、
何度も熱く込み上げてくるものがあった。
考えてみれば、
この2人の音楽に対して
「時代の空気と共に聴かなければ本当の良さが分からない」とは、
何という過小評価だろうか。
いつの時代にも通用する普遍的なポップスに成り得ていないと
言っているのと同じだから、とんでもない誤解だ。
恐らく僕は
それまでの形式的な音楽ジャーナリズムに汚染されすぎているかも知れないし、
自分の周りにJTやCKを好きな人が多過ぎるのかも知れない、とも思う。
そういう熱い世代やファンの人達とちょっと距離を置くことで、
自分の立ち位置を確認するようなところもあったはずだ。
(本当は死ぬほど好きなくせに。そこがB型のややこしいところだ)
そんな複雑な心境のまま観た今回のライヴ、
そういう意味では
「Mexico」や「How Sweet It Is(To Be Loved By You)」や
「Jazzman」といった曲のように、
時代の空気をそんなに孕んでいない音楽的快楽の強いナンバーの方が
素直に楽しめたのかも。
(サックスがいなかったので「Jazzman」は無いだろうなと思っていたら、何と
ダニー・コーチマーのギター・ソロで代用。でもそれじゃ「Guitar Man」だ!)
パシフィコ横浜では、
武道館で演らなかった「You Can Close Your Eyes」を演ったみたいで
ちょっと悔しい。個人的に大好きなJTソング。
今日のBGM:「Crying In The Rain」by Carole King
↑2人寄り添ったデュエットで披露。
『Complete Recordings 1958-1966』というCDで
キャロル・キングのデモ・ヴァージョンを何回も聴いていたので、
やっと本人の生の歌声でこの曲を聴けたのが夢のようだった。

