今回のゲストは宮治さんということで、
武蔵小山駅前の立ち飲み屋で一杯やってから参戦。
トーク熟練者同士ゆえのバランス良い会話が見事。
押しては引き、引いては押すといった知的なやりとりで、
お客さんを全く飽きさせない3時間弱でした。
もちろん飽きさせないのは話す内容も濃ゆいからで、
前半は宮治さんのサザン桑田さんや健太さんとの想い出、
後半は銀次さんのごまのはえ〜シュガー・ベイブでの想い出と、
奇しくも青春時代トーク対決の体となった。
しかもそれがそのまま日本のポップス全体の青春期ともなっているから
いやはやスゴいったらありゃしない。
宮治さんが桑田さんのバンドに
サザンオールスターズと勝手に名付ける話は何度聞いても面白い。
(有名なニール・ヤング「Southern Man」と
ファニア・オールスターズの合体の話ね)
ライヴ当日に初めて自分のバンド名を知らされ文句も言わず
「こんにちは、サザンオールスターズでぇ〜す!」と
第一声でしら〜っとやる桑田さんのお気楽さも最高だなと。
鎌校の文化祭で桑田さんが初めて宮治さんの前で歌ったのが
ビートルズの「Money」だったという話や、
(とにかく大きな声だったらしい!)
「いとしのエリー」の全体のイメージとしてのアイデアは
アイヴィーズの「Maybe Tomorrow」だったんじゃないか
という宮治さんの推測を聞いて、
(マリーナ・ショウの「You Taught Me How To Speak In Love」は
単に旋律だけの近似であると)
やっぱり桑田さんの音楽にはビートルズの系譜が最初から
息づいていたんだなぁと改めて感動。
(リトル・フィートやクラプトンとかだけだったら、
中学生の自分がサザンをあんなにも好きになるわけがない)
それと同じような意味で、
銀次さんが初めて達郎さんの家に行った時の逸話も面白かった。
その時に達郎さんはビーチ・ボーイズのコーラスを採譜した
分厚い紙の束を見せてくれたらしい。
中学生の時からひとりでコツコツと音を取っていて、
「これが僕の原点」と言い切ったそうだ。
更に、大瀧さんが達郎さんの自主制作盤を聴いて驚き、
達郎さんを始めとするシュガー・ベイブのメンバーを福生に招いて
9.21のはっぴいえんどラスト・ライヴに向けて
コーラスを依頼した場面での達郎さんの返答にシビれた。
「僕たちはビーチ・ボーイズはもうやってなくて、
フィフス・アヴェニュー・バンドみたいなバンドを目指してやってるので、
そんなコーラス隊みたいなことはやりたくないんだっ」(キッパリ!)
ナメられないぞ、という上の世代への反骨精神というか、
長いものには巻かれないという自立精神というか、
とにかくカッコいいよなぁ!
その言葉をニコニコしながら聞いていた
大瀧さんの器の大きさもスゴかったと、
銀次さんは側で見ていて感動したという。
結局シュガー・ベイブは9.21でコーラスをやるわけだから、
大瀧さんがどうやって達郎さんを説得したのか分からないけど、
たぶん徐々に大瀧さんの器の大きさ
(と音楽的なバックボーン)に対して尊敬し、
協力することにしたんだろう。
上記の桑田さんや達郎さんの話を聞いて思うことはただひとつ、
「スゴい人は最初からスゴい!」
(「栴檀は双葉より芳し」ということわざもあるように)
こういう特別な才能の人たちの青春時代の話を聞くと、
中年にもなって未だ何ひとつ大きなことを成し遂げていない
ボンクラな自分が本当に情けなくなったりもするけど、
(比べるのもおこがましい!?)
まぁこんなスゴい人たちの音楽を
青春時代から浴びるように聴けただけでも、
(そしてこうやって当事者の話を近くで聞けるなんて)
いい時代に生まれて良かったなぁとつくづく思うわけです。
何はともあれ、銀次さん、宮治さん、
楽しい話をありがとうございました。
今日のBGM:「Down Town」by シュガー・ベイブ
↑銀次さんが作詞をしたこの曲についても多くが語られた。
もともとキングトーンズ用に曲作りを依頼され、
銀次さんがダンヒル時代のフォー・トップスの曲
(恐らく「I Just Can't Get You Out Of My Mind」あたり?)を
イメージしながらタイトルとサビだけを作って達郎さんに聴かせたら、
当時ハマっていたアイズレー・ブラザーズの
「If You Were There」っぽい感じで全体をまとめてくれたと。
そうか、この曲の華やかなソウル・フィーリングは、
アイズレーだけじゃなくてフォー・トップスのせいでもあったのか。
ちなみに今日のブログの記事タイトル「Band(1973-1976)」は
シュガー・ベイブの想い出を歌った村松邦男氏の曲名から。
今回の対談で多く語られた時代って恐らく1973年〜1976年あたりだから。